チョットした知識


海がないのに、なぜ 黒磯 荒川沖 川口 浦和 なの?

投稿日時:2014/05/10 09:39


BC2000年頃までは、関東平野の奥深くまで海が入り込んでいました。これは「奥東京湾」と呼ばれています。最後の地球規模の氷河期が終わり、氷が解けて海面が上昇したためです。 そのため、関東平野の内陸には、栃木県の黒磯・茨城県の荒川沖・千葉県の流山・猿島・蓮田市の黒浜 など海に関係する地名がたくさん残っています。 また、縄文人が海の貝を採って食べて貝殻を捨ててできた貝塚も、内陸部の各地に散在し、昔は近くに海があったことを示しています。 そのころ、川口市は荒川が海に出る川口だったし、浦和は海の入江だったことから、このような名前がついたと思われます。 「浦」とは海が湾になって入り組んだところ、入江を意味します。 「流山」という地名は、山(丘)が海の上をすべるように流れていく様子から名づけられました。 潮干狩りをしていた縄文の人々が、気が付くと足元に潮が満ちてきていました。 すると藻屑や水の泡がかなりな勢いで流されてゆきます。 フト顔をあげると、近くの丘が流されてゆくではありませんか。 これは目の錯覚です。 流れる水の泡と丘を同時に見たためです。 このように潮干狩りができる地形がこの辺りに昔あったことを「流山」は示しています。


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